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足踏み

いつだって大丈夫

お誕生日おめでとう、わたし!


人生を舐めているのが辞められないままアラフォーになってしまった。38歳ともなると、さすがに、歩いてきたようにしか身体も心も生成されないのだと理解していて、その生成された体も心も、確かにわたしだけのものではあるが大きな単位の「社会」とは切っては切れない関係だということを知っている。わたしはどうしようもなくだらしなくてちゃんとしていなくて、それだのになんとそのままここまできてしまった。マジで人生を舐めている。


38歳になったわたしはいまだにつらつらと文章を連ねている。こどものころはお話も作っていて、小学生のときにはゆみこちゃんという名前の女の子の冒険を書いていた。彼女は喋る大きなトンボに乗って世界を旅していて、そのときからずっと、心のなかにゆみこちゃんがいる気がする。ゆみこちゃんは困った人を放っておけない、とても親切でそして聡明な女の子だった。わたしがなりたかった女の子だったけれど、わたしったら、全然そうじゃなかったのだ。がっかりしちゃいますね。


ところで、日本語の先生をしていると、「家族は3人です」という文型を教えたりする。両親と兄がいます、だとか、兄弟は2人です、だとかを学生は勉強し、わたしが質問したり学生同士でたくさん言ったり聞いたりする。当然、「せんせい、かぞくはなんにんですか」と聞かれるが、いつも少しだけ困った顔をしてしまう。そもそも日本人は、家族は何人かなんて聞かずに精々「ご兄弟は?」ぐらいの聞き方をするわけで、それなら「兄が2人、弟が1人います」なんて言うかと思うのだが、留学生の「かぞくはなんにんですか」の「かぞく」に困ってしまう。かぞくかぞくかぞく、と考えると、今のわたしはどうやら兄弟を「かぞく」だと捉えられなくなったらしいたいうことに気づく。もちろん兄弟という存在には変わりがないが、兄弟と家族では枠組み、レイヤーが異なるようだ。ではわたしの家族とはなんぞや、と考えると夫が浮かぶ。血のつながった関係は本当に心の底からこりごりだから、わたしは赤の他人となんと家族になれた、というのはありえないくらいの幸福だ。だって、家族とは、血の繋がりというどうしようもない連続帯の関係だけではなく「わたしの意思で作る関係」でもあるということだからです。それは救いで幸福だ。


誕生日になると、いつも以上に家族のことを考える。考えると本当にクソみたいな気持ちになっちゃうけれどそのクソみたいな気持ちに中指立てつつハッピーバースデーとお歌を歌ってケーキを食べるのです。心のなかのゆみこちゃんは、そんなどうしようもないわたしに笑って「おめでとう」と言ってくれるはずなのです。


いつだって大丈夫_a0155211_16514950.jpg





by signales | 2022-11-02 16:46 | 考える | Comments(0)
踏み抜いた先には夕焼け
by signales

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